かつて「実家」とは、家族の記憶をつなぐ場所でした。
帰省すれば、懐かしいにおいに包まれ、親の笑顔に出迎えられる、そんな安心の風景。
けれど、親がいなくなったその家が、ある日突然「重荷」に変わることがあります。
「この家、誰が継ぐの?」
「売れるのかな?」
「私たち、誰も住まないよね」
そんな言葉が、思い出の中に静かに割り込んできます。
実際に、相続された空き家が放置されてしまったり、固定資産税や管理コストに悩まされたりと、「親の家を残すこと」が“家族の課題”になっているケースは増えています。
大切に守られてきた実家が、“片づけなければならない遺物”となり、最期に家族の関係をぎくしゃくさせてしまう。
「良かれと思って残した家」が、次の世代にとって“迷惑”と捉えられてしまうことさえあるのです。
だからこそ今、「残す家」をどうするか、50代の私たちが、そっと考え始めるときなのかもしれません。
相続が“争続”になるとき、よく登場するのが「家」の存在です。
お金なら平等に分けられても、「家」はそうはいきません。
そこに感情と記憶と不動産特有の“分けにくさ”が重なって、話し合いがこじれることも多いのです。
たとえば、長男が親と同居していたから、そのまま実家を相続する。
一方で、他の兄弟には「現金で補填する」と言われても、家とお金は“等価”にはなりません。
「家をもらった方が得じゃない?」
「そもそも、売れる家なの?」
「固定資産税は誰が払うの?」
不動産は、ただの“資産”ではなく、“感情の温床”でもあります。
とくに地方の住宅や、売却が難しい立地の家になると、「もらっても困る」「維持できない」といった本音が飛び交います。
家というのは、形が大きく、重く、そして分かち合うことが難しい。
だからこそ、相続時に「誰が何を受け取るか」が不公平に映りやすく、それが“きっかけ”となって、家族のあいだに静かな分断が生まれてしまうのです。
この分断は、誰かが悪いわけではありません。
ただ、物理的に“分けられない家”という存在が、平等でいたい気持ちにそぐわないだけ。
だからこそ、「どう建てるか」には、すでに「どう遺すか」の視点が必要なのです。
家づくりというと、「どこに建てるか」「どんな間取りにするか」といった“今の暮らし”に目が向きがちです。でも、本当に大切なのは、「この家が、いずれ誰の手に渡るのか」まで想像することかもしれません。
とくに50代以降の家づくりは、自分たちの終の住処であると同時に、次の世代へ“何をどう残すか”を静かに問いかけてきます。親から相続した家が「迷惑」と感じられる時代だからこそ、“遺す家”に、やさしさと工夫をこめることができます。
たとえば、将来売却しやすい設計にしておく。
維持しやすい間取りにしておく。
土地と建物の名義を早い段階で整理しておく。
相続の場面で「感情」ではなく「設計」が語られることは、意外と少ないのです。
けれど、家が“整理されたかたち”で遺されていれば、残された家族も冷静に判断ができる。
「なぜこの家をこうしたのか」
「誰のことを思ってこの選択をしたのか」
そうした想いが込められていれば、たとえ人が去っても、家がその“会話の続きを残してくれる”ような気がします。遺言という紙に書かれる意思よりも、ふだんの暮らしににじませた「家のかたち」こそが、もっとも深く、あたたかいメッセージになるのではないでしょうか。
相続の話をするとき、多くの人は「親の財産をどう分けるか」だけを考えがちです。
けれど、本当に備えるべきは、その先にある「自分自身が遺す側になる日」なのかもしれません。
たとえば、親の家を相続したばかりの50代が、その数年後に亡くなり、今度は子どもが「二次相続」に直面する。
そんな“連鎖”が、想像以上に近い将来としてやってくるのです。
一次相続(親の相続)を終えたばかりでも、その家をどう使うか、売るか、引き継ぐかを判断しないまま、自分が亡くなれば、その決断は次の世代に引き継がれます。
つまり、「家をもらったけれど、活用できず、処分もできず、次に回すしかない」という状態を生んでしまう。
家は“一代限りのもの”ではありません。
むしろ、設計や場所、登記のあり方によって、数十年にわたって家族の関係性を左右し続ける存在です。
だからこそ、いま家をつくる私たちは、“自分の最期”ではなく、“その次の相続”まで想像しておく必要があります。夫婦のどちらかが先に亡くなったとき、残された片方に家がどう引き継がれ、そのあとの子どもたちがどう対応できるか。
「死んだあとのことなんて、知らないよ」では済まされない時代です。
人生の後半に立った私たちが、少し先の未来まで見すえて「家」を整えておくことが、“静かな思いやり”になるのかもしれません。
相続で家族がもめるとき、それは「お金」や「家」が原因なのではなく、“準備のなさ”と“すれ違い”が火をつけているのかもしれません。
だからこそ、家づくりの段階から、争いの芽をそっと摘んでおくことができます。
ここでは、争続を防ぐための5つの工夫をご紹介します。
土地と建物を法的・物理的に切り離しておくと、分割や売却の選択肢が広がります。
将来の相続人が複数いる場合に有効です。
駅から遠すぎる家や特殊な構造は、相続後の活用が難しくなります。
「この家を次の人が扱いやすいか?」という視点で考えると、結果的に自分たちの暮らしやすさにもつながります。
評価額や修繕履歴、維持費の目安などを一覧にしておくことで、“この家はいくらの価値があるのか”を冷静に把握できます。争いは「価値が見えないこと」から生まれるのです。
「思い出があるから」「長男だから」ではなく、名義や費用、ローン残高などを“数字”で見えるようにしておくことで、感情論になりにくく、冷静な話し合いができます。
「どこに住んで、どうしたいのか」「誰に残して、どうしてほしいのか」その会話こそが、争いを未然に防ぐ最大の仕組みです。家を囲んで語る時間を、ふだんから意識的に持っておくこと。
“相続”は制度の話であると同時に、“感情”の話でもあります。
争わないために大切なのは、仕組みとともに、静かな対話の余白を用意しておくこと。
家とは、ただの不動産ではなく、これからも家族を包み続ける“関係性の場”なのです。
「うちは大丈夫」「兄弟仲がいいから」
そんなふうに思っていたのに、いざ相続となった途端、会話が減り、連絡が途絶え、やがて関係そのものが変わってしまう。
そんなケースは、決して珍しくありません。
実家という“特別な場所”があるからこそ、それぞれの想いが交錯し、静かな亀裂を生んでしまうのです。
けれど、家づくりの段階から「遺すこと」を少しだけ意識しておくだけで、その未来は、まったく違うものになります。
それらはすべて、“家族の静けさ”を守る設計です。
相続とは、家の価値をめぐるだけでなく、これからの家族のつながり方を問う時間でもあります。
だからこそ、50代から始める家づくりは、未来に向けた“静かな贈りもの”でもあるのです。
家を語ることは、人生を語ること。
誰かが去ったあとも、「ありがとう」と「おかえり」が交差する場所を遺していけたら、
それが、いちばんの“相続対策”なのかもしれません。