こんにちは、編集部です。
この連載は、「家とはなんだろう?」という素朴な問いからはじまりました。
50代を迎えて、ふと振り返ると、家の中の風景も、自分の心持ちも、少しずつ変わっていることに気づきます。
子育てが一段落して、夫婦ふたりの時間が増えたこと。
親の老いが目の前の現実になってきたこと。
そして、いずれ自分自身が年老いていくこと。
それらすべてを受けとめる「家」が、ただのハコであっていいはずがない――。
そんな思いから、このシリーズは生まれました。
“死”や“老い”を重く語るのではなく、
“静かで、やさしい暮らしのつづき”としての家を見つめていきたいと思っています。
第1回のテーマは、こちらです。
気がつけば、家が少し広く感じるようになった。
騒がしかった子どもたちの声も、いつの間にか遠ざかり、週末のダイニングテーブルには、ふたり分のコーヒーカップだけが並ぶ。
夫婦ふたりの時間が、こんなに長くなるなんて、若いころには想像もしなかった。
でも、これは静寂じゃない。新しい対話のはじまりだ。
50代になってからの家づくりって、単なるリフォームでも建て替えでもない。
それは、「この先、誰と住むのか?」という問いに、そっと答えを出していく作業なのだと思う。
いまや私たちは、かつての「家族モデル」からずれてきている。
親と暮らすか、別に暮らすか。
介護をどうするか、自分たちの老後はどうするか。
これからの家は、“誰と住むか”が固定されていない。
だからこそ、「変われる余白」が必要になる。
居場所としての家ではなく、「選択肢としての家」。
夫婦ふたりでも快適。
親が一緒に住んでも窮屈じゃない。
子どもが帰ってきても、お互い気まずくない。
ひとりになっても、孤独を感じない。
そんな“グラデーションのある家”が、これからの時代には似合うのかもしれない。
私自身、今まさにその渦中にいる。
親のこと、自分のこと、そして子どもたちの未来。
全部が“今ここ”に折り重なってくる感覚。
だからこそ、家づくりを「人生の棚卸し」と呼びたい気持ちになる。
「終の棲家」は、静かな覚悟だ。
けれど、それを“終わり”として設計する必要はない。
むしろ、“未来の可能性”として開いておくことのほうが、心に余裕をくれる。
たとえば将来、誰かとまた暮らすかもしれない。
それが親かもしれないし、再婚相手かもしれないし、子どもかもしれないし、もしかしたら大切なペットかもしれない。
そのとき、自分の家が「いいよ、どうぞ」と自然に迎え入れてくれる形になっていたら、どれだけ心強いだろう。
選択肢があることは、自由をくれる。
だけど同時に、不安もつれてくる。
だから、家にはその両方を包み込む力が必要なのだ。
間取りとか設備とか、もちろん大事。
でもそれ以上に、“生き方”に沿った設計を、私たちは求めているのだと思う。
50代での家づくりは、図面だけじゃ語れない。
それは、「これからの人生、どうありたいか」の問いかけでもある。
さあ、この先、誰と住もうか。
その答えは、今すぐ出さなくてもいい。
けれど、考えはじめた時点で、もう新しい暮らしははじまっている。
(文・編集部)
次回のテーマは、「相続でもめない家づくりとは?〜“争続”を防ぐ5つの工夫〜」です。
人生後半の「家」をめぐるリアルな問題に、やさしく踏み込んでいきます。お楽しみに。